広島城は毛利輝元が築城し、関ヶ原の戦い後福島正則が安芸・備後の本城として入城した。元和5年、福島は洪水により破損した石垣の無断修築を理由に改易され、紀州より浅野長晟が移封されてきた。
石垣は毛利・福島・浅野の3期に分けられ、石材の加工度や積み方でその時期がある程度判ると思える。
広島城の石垣
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天守台の石垣
石材の加工度が甘い、自然石か粗加工の石材を使用。
角石が算木積みになっていない。 |
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本丸西側壁面
写真中央で積み方が異なる。
右は目地が通らず、間石も多い。
左は目地が通り、石材の加工(小面の大きさの規格化)も進む。 |
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本丸北側壁面(その1)
一応、角石は算木積みに。しかし角脇石がいまいち明確ではない。
コーナ部と築石部では石材の加工に差がある。
コーナー部は直方体を意識した加工。
築石部は自然石か粗加工割石。 |
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本丸北側壁面(その2)
写真右側が推定福島時代の石垣。
写真左側上3〜4段は浅野時代の改修? |
広島城の刻印
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水堀に面した石垣石材に施されている。
扇形の中に○の形をしている |
福島氏が安芸・備後を治めていた時代、領内に支城を持っていました。その支城の石垣と刻印はこちらから。
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