筑後津留城

  所在地:山門郡大和町六合
【歴史】

『津留城跡』説明板より

 この地方の国人領主田尻氏の居城は、平安.鎌倉時代より三池郡田尻山の飛塚城でしたが、風水害で要害が悪くなったために、天文17年(1548)、田尻親種は、大友義鑑の許可を得て鷹尾に城を築き、これを本城としました。
 津留城は、永禄3年(1560)に築かれた江ノ浦城や浜田城・堀切城とともに、鷹尾本城の守りとして築かれた支城で、天正の頃、親種の一族田尻石見守鎮直が、津留因幡守とともに守っていました
 天正12年(1584)9月、大友方の戸次道雪・高橋紹運によって鷹尾城が落城した後、津留城も廃城となりました。
 城内・北城・鮎堀などの地名が、現在も残っています。

(写真1) (写真2)
【雑記】

 城跡には、石碑と説明板(写真1)が立っているのがうれしい。石碑の立っている場所の周辺には水路が走っていて、現在でも独立した空間であったことがわかり、案内板の図面(写真2)から水路に囲まれた集落を城として使用していたとも考えられる。