筑後鷹尾城

  所在地:山門郡大和町鷹ノ尾
【歴史】

『鷹尾城主田尻親種墓碑』説明板より抜粋

 応仁・文明の頃(1467〜1486)以降、豊後の大友氏の傘下にあって次第に所領を拡大し、遠江守治種を経て、その子伯耆守親種の時に鷹尾に本城を構築し、山門・三池二郡に跨る数百町を領有した。元亀元年(1570)5月、田尻親種は、大友氏の軍に従い、龍造寺氏の佐賀城を攻め、重傷を負い帰城。6月23日に逝去した。城址に建つ親種の墓は、「大墓さま」と呼ばれ、・・・

(写真1)
【雑記】

 関ヶ原合戦の以前は、立花宗茂の家臣立花三左衛門が城代、後に米多比丹後が城番となり、関ヶ原合戦の後は田中吉政の家臣宮川才兵衛門が6000石を領して城代になった城らしいので訪れたが、土塁らしきもの(写真1)と城跡に田尻親種の墓がある説明板のみ確認した。「福岡県の城」には墓の付近に櫓台と堀がわずかに残るとの記述があるが、この土塁ものらしきものが記述にある櫓台でいいのだろうか?
 城跡に墓が建つ記述のある説明板は琴平神社の周辺にあります。墓もその周辺です。