歩兵第32聯隊跡

  所在地:山形市霞城町
【歴史】

 『歩兵第32聯隊足跡の大要』より抜粋

 聯隊は、明治31年3月24日、宮中にて軍旗を拝受。最上義光公の居城であったこの地に誕生し、國防の一翼を担い、霞城聯隊とも称した。
 日露戦争では、明治38年、緒戦の黒溝台会戦に抜群の勲を樹て、勇名を馳せた。
 満州事変では、昭和7年、熱河作戦に参加し万里の長城の古北口、南天門等の戦闘で活躍。12〜19年の間満州東部國境の防衛に任じた。
 大東亜戦争の戦況急迫に伴い、19年、聯隊は1個大隊をメレオン島に急派、主力は転進して沖縄防衛第32軍の指揮下に入った。
 昭和20年3月末から沖縄本島派、圧倒的優勢な米陸海空軍の猛攻を受け、各部隊は勇戦敢闘したが、逐次壊滅、6月23日軍指令官の自刃により組織的抵抗を終えた。
 しかし、我が聯隊だけは、軍旗を奉じ、残存250名が沖縄南部の國吉台とウテル原台一帯を死守した。8月末終戦の大命を知り、28日夜軍旗を奉焼し翌日聯隊は終焉を迎えた。

【雑記】

 32連隊は雪の八甲田を越えた大尉が31連隊の次に赴任した部隊ということが頭に残っており、どこにあるのか気になっていた部隊でした。
 碑は2カ所にあり、それぞれ東大手門を入って回り込んだ所と北門の脇にあります。