【歴史】
『山形城跡』説明板より抜粋
山形城は、山形へ入部した斯波兼頼が延文2年(1357)に築城したもの、と伝えられています。これを最も大きい規模に構築したのが山形城主最上義光で、文禄年間(1592〜1595)のことです。
城は本丸・二の丸・三の丸を有する平城で、その規模は東西1480m、南北1881mに及んだと言われています
ここ歌懸稲荷神社境内の西側に残る土塁は、三の丸の東南方
の十日町口に南接する部分にあたります。昔を偲ばせる樹木が
繁茂しており、東側には堀跡が窪みとなって残っています。
現在は、二の丸の区域内(霞城公園)とともに、山形城跡として
国の史跡に指定されています。
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