波浪により田辺洲崎城が倒壊した後に築城、浅野左衛門佐が芸州に移ってからは紀州徳川家附け家老の安藤帯刀が入城。幕末に中万呂地区に移転の予定もあったが、そのまま残る。
現在では水門だけが残るように言われているが、民家の基礎や庭に石垣が結構残る。
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現存する水門
安政2年に作られたもので、礎石が砂に埋もれているが残っている。 |
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水門の階段
水門の上から城内を見たもの。階段が途中で狭くなっているのがわかる。 |
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水門脇石垣(城内側から見て右側)
写真右側の溝は水門の柱を埋めたほぞ溝 |
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水門脇石垣(城内側から見て左側)
精加工の石材に注目
なお、奥の石垣はバッタモン石垣 |
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