新庄城 所在地:新庄市小田島 |
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【歴史】 『新庄城址』説明板より抜粋 最上公園の名で親しまれているここ新庄城跡は、江戸時代を通じて、戸沢氏6万8200石の藩政の府となったところである。この城は、新庄藩祖戸沢政盛公が築いたもので、寛永2年(1625)の完成と伝えられる。本丸は、東西52間、南北127間、正面奥に天守閣がそびえ、周囲は堀と土居で囲まれ三隅に櫓を有する近世的平城であった。創建当時三層の天守閣が築かれたが、寛永六年(1629)の火災によって焼失し、以後再建されなかった。本丸の東側に二の丸、三の丸が設けられ、侍町を形成し、その外側に町人町がおかれた。戊辰の役で城は落とされ、城下は焦土化した。 戸沢氏は、最上家の改易のあとを受けて元和八年(1622)から明治維新まで11第246年にわたって新庄藩を治めた。 |
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【雑記】 雪の東北ツアー(JR乗りつぶし)で乗り換え時間待ちの際に訪れた城です。 写真等でよく見る新庄城の城門脇石垣も石垣だけを撮ろうとすればいまいちなものしか取れませんでした。切込みハギの石垣で是非1枚欲しい城の写真やったのに。 でも、雪景色の城としては結構ええですよ。南国紀州育ちの管理人には雪の城跡ってのはどれ見てもええ感じに見えます。が、記憶はそれだけ。この翌日には、山形城でイオス10制御不能事件が待っているとは・・・。 |
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