筑後犬尾城

  所在地:八女市山内
【歴史】

『犬尾城』碑文より抜粋

 この犬尾城は今から約800年余り前、治承4年(1180年)黒木城主黒木助能の嫡男川崎三郎定宗が築いた山城(標高180m)で、上妻、下妻、竹野、筑前上座の四郡(旧八女郡田主丸・朝倉)に亘り1600町を所領としていました。それから17代約400年幾多の戦乱の歴史を刻みましたが天正15年(1548年=多分碑文誤記入=)川崎鎮則の代に豊臣秀吉の九州征討に抗して亡びました。
 四方に深い谷を穿つ天然の要害と南筑後の眺望を兼ねそなえ攻めるに難く守るに易い堅城だったことが窺えます。東の望む黒木の猫尾城と同じように本丸跡は見事な台形をなし周囲に残る土塁や裾をめぐる空堀からもその頃が偲ばれるものです。

(写真1) (写真2) (写真3)
【雑記】

 国道442号から山道に入ることになるのですが、その際の目印は童男山古墳の案内板です。道はくねくね曲がって山を登るわけですが、基本的には道なりで城跡直前の分岐だけ気をつければ到着するでしょう。本丸の真下まで軽自動車での乗り着けは可能です。(ある意味楽城派向け)
 城跡は本丸(写真1)と周囲の堀が良く残って整備をされていますが、ほかの曲輪は未整備であったように見られました。本丸の北側には低い土塁(写真2)が残っています。周囲の堀(写真3)は結構切岸がしっかりしたモノ(整備されているかは不明)で見応え十分です。