筑後猫尾城

  所在地:八女郡黒木町北木屋
【歴史】

『猫尾城跡』説明板より

1.現状
猫尾城(黒木城)は、中世(鎌倉時代から室町時代)の山城で矢部川、笠原川の合流する猫山連峯の西端にある。本丸は山頂(240m)にあり、南北56m、東西28m、周囲に石垣、土塁、櫓、準天守閣跡があり、二の丸、三の丸、堀切り、空堀、曲輪等の遺構がある。県内随一の中世の城跡と称せられている。
2.由来
黒木大蔵大輔源助能、大隅国大根占(鹿児島県)より平安末期に来り、城主となる。以後元寇、南北朝、室町時代、天正12年(1584)城主の自決と落城、天正15年秀吉による廃城まで420年間多彩な歴史的秘話をもつ城跡である。

(写真1) (写真2)
【雑記】

 路面一部凍結中の道路を軽自動車で本丸に乗り付けたお城、本丸までドアtoドアです。(ひょっとしたら一般の車は二の丸までやったのかも?)本丸跡には彦山神社が鎮座しています。
 本丸の石垣(写真1)はその神社に伴うものではないかと思っていますが、どうなんでしょう?本丸の神社と反対側には低い土塁が廻っています本丸の削平地の一段下には腰曲輪状の削平地も見ることが出来ます。本丸の東側には広い堀切をはさんで三の丸、同南側には二の丸が続いています。