赤田川の残石(赤田川河川敷残石)
『残念石について』説明板より
昭和50年赤田川護岸改修工事のさい木津川左岸から巨大な切石60〜70個出て、新聞紙上を賑わした。当初、この石は豊臣秀吉が大坂城の築城に用いた残石といわれたが、その後の調査で元和6年(1620)以降、徳川幕府が大坂城を改修したさいに使用した残石であることが判明した。
日本古城友の会『大阪城石垣調査報告書』によると、加茂の石は、本丸側と二の丸側に確認されるという。

【管理人の鑑識モード】
赤田川に残る石材は役場前のものと比べると、大きさはこちらの方が大きいが派手に矢穴(跡)が残っておらずちょっと地味な感じがします。
しかし、河川敷に20個近い(ちらっと見た範囲で)残石は圧倒されますね。
道には手作り矢印案内板があり、残石の前にも同じく手作りの説明板があり、加茂町は残石を観光の一つに考えている様な感じですね。
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役場前展示石と矢穴の大きさが同じ。この矢穴の位置から考えて、さらに二つに割る予定やったんか? |
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矢穴のアップ |
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残石の状況。護岸改修時に適当に置いた感じです。写真左下には砂に埋まった状態で頭が少し見えているものもある。 |
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