赤田川の残石(加茂町役場前展示残石)
『大坂城石材の残石』説明板より抜粋
この石材は、大坂城の改修のときに、伊勢津藩の藩主藤堂高虎が、自ら加茂に滞在し、現在の加茂町大野山から切り出した、大坂城石垣修築用の石材です。多くの石材が木津川を下って大阪へ運ばれましたが、なかには、のちの修理用に備蓄されたものもあり、木津川と赤田川との合流点を中心に、約500残っていたことが知られています。
この石もその一部で赤田川改修の際に見つけられたものです。

【管理人の鑑識モード】
津藩が南山城を領地とするのが元和5年以降、この残石は元和・寛永の大坂城修築用と見て間違いないですが、ひょっとして寛永元年の二条城改築も当地での採石が考えられる(最寄りの採石地か?)ので大坂城オンリーと決めつけるのはちとしんどいかな?
残石の一面には「L」型の刻印と文字らしき彫り込みが施されているので、内容が気になります。ま〜、ここで拓本とっても怒られる可能性は無いやろうし、そのうち考えよう。
また、矢穴(跡含む)の大きさがむちゃくちゃ大きいのが印象に残りますね。上場長は慶長期前半の大きさですかね?巨石を切り出すためには矢穴を大きく開ける必要があったのか?いろいろ考えさせられる一石です。
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矢穴の方向と石材の形が変な残石。
矢穴が非常にでかい! |
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「L」型の刻印が写真中心に、その右には「十字架(クロス)のような記号があります。
また、写真に半分しか写ってませんが文字刻印らしきものも施されています。 |
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