石垣山城跡北方渓谷部の残石

『城石垣の石』説明板より

 これらの石はこの沢の治山事業の際、川底から出土したものです。
 石の割れ口に沿って、石を割る時についた矢穴の跡があることや、石の形、大きさから、お城の石垣に使うため石切り場で切出されものと思われます。この地方の石は、かつて、小田原城のほか、江戸城などの石垣に使用されました。
また、この山の上にある、豊臣秀吉が築いた石垣山一夜城も、周囲の山から出る石を用いたものと思われます。しかし、一夜城の石垣石には矢穴の跡が認められませんので、これらの石は別の城の石垣用に切出されのでないかと思われます。

      

【管理人の鑑識モード】

 江戸城か小田原城か・・・どちらかの石垣用石材の残石と思いますが決める根拠が無いですね。
 まず、刻印が無い。表面にすだれ彫りの加工がなされている。時代的には元和以降の石材とは思うのですが、どっちの城がメインの運搬先であったのか?
 川底からの出土との説明があるので落石扱いで残石になったものと考えます。

残石は2個で、ほぼ同じ大きさ
こちらの方は形がいまいち綺麗じゃない。