東大阪市善根寺地内の残石
『大坂城築城残石』案内板より
この地に豪壮な屋敷を構え、豊臣秀吉から石奉行に任じられた足立氏は、善根寺を中心に南は日下・池ノ端、北は龍間・中垣内(大東市)あたりの山々から、大坂城築城のための石材を多量に切り出しました。これに従事した人々は各地から集まり、周辺の村々に住んで、多い日には2万人にも及んだと云われます。
周辺の山腹には、石を切りだす際のクサビ痕や、”日下””くさか”などの刻名のある切り石が点在しています。「築城史研究会」の調査によればここにある巨石も残石の一つで、表面には「東足立」「西社地」など土地の境界を示す文字や家紋らしい符号(回・一文字一星・○に△)の刻印がいくつかみられます。周囲に散在する切り石の刻印( ・九曜紋・ )は元和6年から寛永6年(1620〜29)に行われた、徳川大坂城修築時の石垣に多く、足立氏が引続いて石材を切り出していたと、と考えられます。

【管理人の鑑識モード】
残石というより岩塊ですね。刻印が無ければそこらにある大きな岩ですよ。
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善根寺地内の残石(のこりいし) |
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別角度からの残石 |
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