室津残石

「巨石の由来」より

 この巨石は、豊臣秀吉が大坂城を築いた時石垣に使用するため、西国の大名が運ぶ途中たまたま「室の泊」で海中に落としたものと言い伝えられています。その後約400年の間灯籠の端とよばれた船着き場近くの海底に沈んだままでしたが、昭和47年室津漁港修築工事の際引揚げられ、湊口番所跡(現在地)に置かれました。
 こんな巨石の一つ一つを積みあげて石垣が築いていかれたのかと大坂城のようすや、多くの人たちの労苦のほどを偲ばせると共に室津の人たちや港に出入した幾多の人びとの栄枯盛衰喜怒哀楽が織りなした歴史の多くを、私たちに語りかけているかのようであります。

        

【管理人の鑑識モード】

秀吉の大坂城用石材の言い伝えがありますが、「ぜ〜たい違います」と言い切ります。なぜなら、残石には「すだれ彫り」が地表に接する面を除く5面に施されている点。「すだれ彫り」を施すのは元和頃からだと思います。また、2つの石材がほぼ同じ大きさである点。徳川による大坂城再建には石材の大きさを指定しています。よって同大のこの石材は「元和以降の石材」としてまず間違いはないと考えます。なお、これらの石材には刻印・墨書が施されていないので関係する藩についてはわかりません。

残石1

横3.8m×高さ1.48m×奥行き1.5m
地面に接している面以外には「すだれ彫り」が施されている。
残石2

横3.8m×高さ1.4m×奥行き1.5m
地面に接している面以外には「すだれ彫り」が施されている。
左側には矢穴があけられている。
残石2の矢穴(その1)

上場長は10cm、上場幅は5cm
「すだれ彫り」の状況がよくわかる

残石2の矢穴(その2)

石材の端から約30cmで施されている。
上場長は10cm、上場幅は5cm
矢穴(その1)と(その2)では約5cmのズレがあり、(その1)の方がやや内側に施されている。

左の残石1の側面の「すだれ彫り」の彫りの方向と残石2の「すだれ彫り」の彫りの方向が異なるのがよくわかる。