駿府城は慶長12年、徳川家康の隠居城として天下普請により築かれた。当時の紀州藩浅野家も助役を行っている。徳川家康死後は、十男頼宣が和歌山城に移るまで、居城としていた。現在、石垣と水堀の一部が残るが、その大半が後世の改修を受けているもよう。

駿府城における紀州浅野家の丁場(二の丸)
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丁場(その1)
二の丸北門から西側部分の一部が丁場になるが、写真の通り石垣壁面は見えません。土盛りの中になるのか撤去されているのか? |
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丁場(その2)
模擬櫓の下の石垣が浅野家丁場の一つ。写真右側枡形の部分までと同左櫓台よりちょっと先まで辺りがその範囲になる。
櫓再築に伴う石垣積み直しで、新しい石垣になっているのは残念。 |
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丁場(その2−1)
枡形部分の入角部分に古い石材を発見!但し昔からこの位置にあったものではないと思われますが。
水面上の段と入角部分の縦に6段部分、計9個が旧石材と思われる。 |
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丁場(その2−2)
櫓脇、土塀が切れる部分の石垣。写真左が古いタイプの石垣が、浅野家の丁場と思われる。 |
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