シュミの甲府城


 甲府城は浅野長政・幸長親子が和歌山城移封まで居城としていたところで、武田家滅亡後、徳川氏や加藤氏が築城・増築をした後に入っているため、浅野氏特有の特徴等は判らない。
 しかし、石垣は天正末から文禄期の積み方として参考になるモノである。




甲府城の刻印

甲府城の刻印(その1)

甲府城で最も有名(ここだけ)な刻印
「釘抜き」紋(写真右上)と文字刻印の「連」(写真左)
刻印(その2)

角石に「一」文字が刻まれている。
傷と見るには人工的すぎる、多分刻印でしょう。