採石地
「緑泥片岩(点状結晶片岩)」
虎伏山
本丸曲輪乾櫓の下側にあたる岩盤に上場長10センチと8センチの矢穴が残る。山塊の整形と同時に採石を行った名残と考えられる。
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上場長10センチの矢穴跡 |
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上場長10センチの矢穴跡(中央よりやや左)と8センチの矢穴跡(中央上部のやや左)の残る岩盤 |
※ 同様に城内の岩盤を削って採石した跡は新宮城でも見られる。
岡公園
岡口門正面の公園内の岩山の南面と西面を中心に、石材の切出の為の矢穴及び矢穴跡が数多く残る。公園南側の池は石材切出の跡に水が溜まったものと言われる。江戸時代には民需用石材供給地として使用されたらしく、現在残る矢穴、矢穴跡は民需用のものの可能性もある。
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矢穴(岡公園西側)
この岩盤には、2列の矢穴が施されている。 |
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矢穴2(岡公園西側) |
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矢穴(岡公園西北側)
写真中央右側の「逆コ字」の模様は矢穴をあける位置をマーキングしたもの。 |
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矢穴をあける位置を記したもの |
岡公園南側民家
従来から民家の庭園内にある岩盤が採石地と言われるが、現状確認をしていない。
「緑泥片岩(無点状結晶片岩)」
雑賀崎
雑賀崎には「石切場」の地名が現在も残り、採石地の一つとされる。近年、再確認されたカゴバ台場(狼煙台か?)にも緑泥片岩を用いた石垣が築かれており、比較的新しい時期まで採石されていたもよう。
琴の浦・毛見崎
毛見の観音崎(毛見崎)とその南側(琴の浦)が採石地とされる。現在、この地では緑泥片岩の他に赤紫色の石(紅廉片岩)も見られ、紅廉片岩の採石地と考えられる。
下津大崎
下津和歌浦湾の南側にあたり、現在石油タンクが立ち並ぶ状態である。
有田初島
有田市の西北部(初島地区)の海岸か、地の島・沖の島が採石地考えられている。
「和泉砂岩」
友ヶ島
虎島東側には矢穴が縦横にあけられている岩盤が連絡船より確認できる。北側海岸部では切出しの終わった石材が見られる。その中には刻印の施されているものも確認できる。
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虎島の北側海岸の矢穴のある石 |
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虎島北側海岸の刻印が施されている石 |
加太海岸
大谷峠下(旧陸軍「男良谷砲台」前)の海岸では、矢穴(上場長10センチ)のあけられている石材を確認している。旧軍部施設の前浜にあたるので、明治以降のものとも考えられるが、明治以降には矢穴を使わないので、城郭石材用と思われる。
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加太海岸の矢穴の施された石
撮影:松本崇秀氏 |
「花崗斑岩」
花崗斑岩は吉宗期の改修以降での使用とされるが、「熊野石」の名称だけで詳しい採石地は不明である。しかし、紀州藩関係ではいくつかの採石地を持っているので推定地としてあげる。
推定地1 曽根浦
江戸城普請の際に、紀州藩が使用した石材が「熊野曽根石」と呼ばれていた。
推定地2 仁木島
名古屋城普請の際に、紀州藩が採石を行った場所。
推定地3 相野川流域
新宮(熊野)川の支流で、和歌山城の支城新宮城の石材採石地とされる。
「紅廉片岩」
毛見崎か?
現在も、毛見崎では赤紫色の石材を見ることができるので当地か?他の結晶片岩の場所では余りこの石を確認できない。
「凝灰岩」
加太海岸
大谷峠下の海岸ではこの石質の地層が露出している箇所があるので、この地での
採石か?
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