江戸城刻印
(外郭部分発掘出土石材)

 「説明板」より

 江戸時代のこの通りは、江戸城外堀に面し、河岸通りと呼ばれ、当時赤坂・青山あたりから日本橋の魚河岸にかけて、往還の賑わいのあった所です。
 ここに積まれている石は寛永13年(1636年)三代将軍徳川家光が多くの大名の助役によって江戸城外郭の南側(虎の門の東)を増築するとき使用したもので、物産ビル別館増築工事の際地下4メートルのところから発掘されたものです。

  この付近の石垣は

           立花宗茂(柳 川)
           稲葉一通(臼 杵)
           有馬直純(久留米)
           毛利高直(佐 伯) 等

 九州各地の諸大名に割当てられ、石材は真鶴や根府川あたりから切り出し、海路を運ばせたもので、石面の符号はその折石工が彫りつけたといわれております。
 なお、世田谷馬事公苑には、昭和39年のオリンピック(馬術競技)開催の記念碑として石垣の原型が残されております。

発掘で出土した石材を使用した石垣

もちろん積み方は適当やと思います。
折り敷きに三(その1)

臼杵の稲葉の刻印と思われる。
三の真ん中の棒は真っ直ぐなタイプ。
折り敷きに三(その2)

臼杵の稲葉の刻印と思われる。
三の真ん中の棒は左端がはねてるタイプ。
折り敷きに三(その3)

臼杵の稲葉の刻印と思われる。
三の真ん中の棒は上からの筆使いがそのまま彫られているタイプ。
【管理人の鑑識モード】

 ここの刻印は同じ形あっても微妙に違うというええ例です。おそらく石工が彫り込みの見本をそのまま施したと思われます。見本になるものが複数枚あって、何も考えないで作業をしたのでしょう。よく似た例で大坂城の「裏焼き丹」(「丹」のミラー文字)もありますし、今後何らかの話のネタになるんじゃないでしょうか?