江戸城刻印
(鍛冶橋門北堀跡)

後楽園入り口脇「移築石垣説明板」より

 左手築地塀の石垣の一部(プレート設置箇所)は、江戸城鍛冶橋門北側外堀趾(千代田区丸の内一丁目)から出土した石垣の石材を使い、本園の作られた江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積の技法で再現しました。
 石材には、備中(岡山県)成羽藩主山崎家の「○に山」をはじめ石垣を築いた大名を表す「刻印」や石割の際の「矢穴」が残っています。数字は発掘調査で出土したときつけた番号です。

◇印です。

○に山(その1) 

備中成羽の山崎家の代表的な刻印です。
○に山(その2)

上向きと下向き、同じ石材に2つの「○に山」が施されています。
山の彫り方が微妙に違いますね。
矢筈紋

豊後佐伯の毛利家か備中成羽の山崎家か?
二つ団子

どちらの大名のものでしょう?彫りが浅いので写真では見づらいです。
かね紋

どちらの大名のものでしょうか?