吉見岳(嶽)城

 所在地:久留米市御井町
【歴史】

『吉見岳城跡』説明板より

 吉見嶽城は天文2年(1533)に八尋式部が築城したといわれています。
 この城は本丸(東西54m、南北22m)・二の丸(東西36m、南北9m)三の丸(東西29m南北9m)及び出丸(東西15m×南北3mと南北11m×南北4m)等の曲輪(囲い)、また土塁や空堀、堀切りなどを設けています。
 吉見嶽は、標高157mの展望のきく場所に位置し、筑前から肥後、肥前から豊後にぬける軍事上の要地で、天正15年(1587)には、九州征伐の折り、豊臣秀吉が、陣を張っています。
 この地は、高良山の第50代座主寂源僧正が天和3年(1683)に選定した「高良山十景」に桜の名勝として歌われています。

(写真1) (写真2) (写真3)
【雑記】

 吉見嶽城へは高良神社の駐車場からの案内板があって、進入路は良くわかるものも、途中1箇所分岐するところでどっちへ行っていいのかの案内がない。左に進むとかつての坊院(神社でも坊院といってよいか?)跡に出ます。真っ直ぐ進むと城跡にたどり着きます。
 本丸跡には「金比羅神社」が鎮座しており、その近所に説明板(写真1)が立っています。案内板の中には縄張り図(写真2)も記載されています。
 遺構は本丸の東辺(写真3)と北辺の一部に土塁が残り、東辺の外には空堀が残っている。