発心岳城

  所在地:久留米市草野町
【歴史】

『発心岳城』説明板より

 発心城は中世を通じて筑後の有力な土豪であった草野氏最後の主家清(鎮永)が、天正5年(1577)新たに本拠として築いた山城である。その規模は発心山頂を中心に東西350m、南北300mにおよぶ。大友氏・秋月氏等から度々攻撃されたが、難攻不落を誇った。天正16年豊臣秀吉によって家清が肥後国南関で殺されると、草野氏も滅び、この城も廃城となった。
 中心をなす二つの郭のほか東・西・北三方にのびる尾根状を利用した郭や土塁、空堀、切り通しの跡などが良く残っており、戦国末期の典型的な山城の遺構として貴重である。

(写真1) (写真2)
【雑記】

 車を止められる場所より本丸跡まで比高差10mほど(目測)の「超楽城派」向けの城跡です。駐車スペース付近には縄張り図付き説明板(写真1)が立っています。
 訪城した際には、本丸と北西側尾根の曲輪群の草が冬枯れ(刈っていた?)状態でしたので曲輪の前まで行くことが可能でした。そこからの眺望(写真2)は、最高でした。
 草野館とセットで考える城跡になるんでしょうね。