八女福島城

  所在地:八女市本町
【歴史】

『福岡県の城』より抜粋

 天正15(1587)年、筑紫上野介広門が秀吉から上妻郡(現八女郡)53村1万8000石余の封を受け、この地に築いた城である。関ヶ原の戦いの時、広門は西軍に与したので所領を没収され、慶長6(1601)年、田中吉政が入国した際、大規模な修築を行った。その子田中忠政の死後、田中家に嗣子がなく断絶、当城は廃城となった。

(写真1)
【雑記】

 城跡の中心地は八女公園〜市役所の一帯で、公園には天守台跡が残り、それより東南にある八幡宮の南隣には、外堀の跡(写真1)も池として残っている。早朝の時間帯での訪城となったため、これら以外の周囲は見ていないが、車で市内を走った感じでは、かつての水堀が現在水路として機能しているようにも見受けられた。