筑後毘沙門岳(嶽)城

  所在地:久留米市御井町
【歴史】

『毘沙門嶽城跡』説明板より

 毘沙門嶽城は標高312mの高良山の山頂部にあり、別名「別所城」ともいい築城者や築城年代は不明ですが、南北朝時代の正平14年(1359)日本三大合戦の一つである筑後川合戦の時、懐良親王の本城になったと伝えられます。
 山頂部には本丸跡と思われる土塁に囲まれた細長い郭(囲い)があり、「城の平」と呼ばれています。
 本丸跡の西側には、切り通し状遺構が残り、その西に二の丸と思われる郭があります。その他にも土塁や空堀りが残っています。

(写真1) (写真2)
【雑記】

 高良森林公園の南側(山頂)部分が城跡で、公園側から堀切を経由する簡単な道が付いていて、比較的楽に本丸に行くことが出来る。
 本丸部分の北側裾部分には長い塹壕状の堀切があり、芝生を植えて整備をしている。
曲輪の端には竪堀(か?)とおぼしきもの(写真1)があり、土塁もよく残っている。特に二の丸にあたる曲輪には曲輪内の仕切りの土塁(写真2)がはっきり残っている。