筑後田川城

  所在地:三潴郡三潴町田川
【歴史】

『福岡県の城』より抜粋

 永禄・元亀・天正(1558〜92)の頃、土豪田川長門守の居城であった。
 天正元年(1573)西牟田氏が大友氏に叛いたため、大友の軍勢が西牟田城(三瀦町流)を囲んだ。西牟田氏と縁故関係であった田川長門守は、手勢を率い援兵に赴く途中、西牟田城と田川城の中間、西牟田の笹原(篠原)において龍造寺氏の伏兵に包囲され討死してしまった。
 昭和5年、田川城跡に高良宮を遷宮したが、それ以前に現・玉垂神社境内に土塁、堀が残っていたとのことである。

【雑記】

 城跡とおぼしき三瀦町田川の高良宮は、神社のところが一段高く、特に東側から見ると低い段丘状に見える立地である。しかし神社とゲートボール場で城跡にはぜんぜん見えないのが残念である。石碑、案内板も立っていない。