【歴史】
『鷹取城跡』説明板より
「筑後久留米領郡中古城覚書」には、東西5間・南北10間、星野重種(鎮胤のこと)居城之由申伝ル、と記され、「筑後封植録」には、星野中務大輔吉実(鎮胤のこと)居城と記されていますが、細かい築城のいきさつは不詳です。
城跡の東方には、空堀の跡と考えられる遺構も残っています。鷹取城は本星野の館や妙見城、延寿寺村の福丸城(吉井町側)の後詰めの城として、重要な位置づけがなされていたと考えられます。
鷹取山(標高802.1m)頂上の城跡に立てば、南東面は緩やかな山並みが星野村へ続き、北西面は急峻な斜面が切れ落ちて、筑後川の流れを一望のもとに眺めることができ、往時の武将たちの活躍がしのばれます。
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