【歴史】
『福岡県の城』より抜粋
正治元(1199)年、三池摂津守師貞(師員)、が三池の地頭職に任じられ、当今福城を築き入城した。しかし翌年、三池師貞は大間城(三池町)に移り、家臣小山左衛門が当城を守った。
天文19(1550)年7月、蒲池武蔵守鑑盛は田尻伯耆守親種と連合し、数千余で三池氏の家臣小山浄栄入道が籠もる今福城に攻め寄せた。激戦数刻、浄栄はついに支えきれず、三池氏の本城大間城に逃れ、残兵は小山山城守を大将として陣営を整え城を死守した。けれどもついに支えきれず落城、この時、城将小山山城守は、田尻尾張守種任に槍で討ち取られたと伝えられる。
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