乙隈城

 所在地:小郡市乙隈
【歴史】

『乙隈城跡』説明板より

 乙隈村城跡平城也縦20間横17間周リノ土手高1間半深1間半同堀広2間半時代未ダ詳ナラズ集今按ニ北条九代記云正安二年(1300)7月北条越後守光時ヲ以テ鎮西探題トシ三原郡乙隈村ニ居ラシムト盖其居城ノ跡
 乙隈村碑館屋敷ト云所ニアリ銘云春香妙永敬白左右ニ天正15納12月15日妙体之者也孝子トアリ里人云龍造寺氏墓碑也未詳(筑後将士軍談)
 乙隈の地形は、南に草場川及びその流域平野があり草場川支流のしょろしょろ川がその丘陵下を流れ西は宝満川流域平野がありその支溝が崖下を通り北方は馬市川更には境石堤あり、東方も村東は低地となり要害の地を占めている。ここが居館の所在地として絶好の場所であり、松崎街道の開通以前は現在西方を通る道は北方より干潟宮前から吹上西方を通る。何れも村西方の旧道が通じていてその方面に大手門等があったと思われる。北条光時については考証の余地があるが、戦国時代、龍造寺隆信がこの地方に勢力を延ばして一支城としたことは充分に考えられ、その部下の人々の墓があることも肯かれる所である。

(写真1)
【雑記】

 乙隈の在所の中を走ってやっと見つけた案内板と碑で、もう一回同じ場所に行けと言われると行けるかどうか?現状は在所のはずれの畑で遺構等は全く無いように見えた。こんな時ほど、石碑・説明板は有り難いですね。