【歴史】
『福岡県の城』より抜粋
天正年間(1573〜92)山下城主蒲池志摩守鑑広の臣一条和泉守の居城であった。蒲池氏は大友氏の幕下であったが、日向耳川で大友氏が島津氏に大敗、筑後に龍造寺氏の勢力が伸びてくると、蒲池氏は龍造寺氏の麾下となった。天正7(1579)年、蒲池鑑広は龍造寺隆信に叛いたため、龍造寺氏の筑後侵攻となった。山下城を攻めるにあたって、龍造寺氏の家臣横岳頼次が、手始めに当城に攻め寄せた。城主一条和泉以下城兵よく防ぎ戦ったが、和泉守が討死したためついに落城、それ以来当城は廃城となったと伝えられる。
|