知徳城

  所在地:八女郡広川町広川
【歴史】

『福岡県の城』より抜粋

 天正年間(1573〜92)山下城主蒲池志摩守鑑広の臣一条和泉守の居城であった。蒲池氏は大友氏の幕下であったが、日向耳川で大友氏が島津氏に大敗、筑後に龍造寺氏の勢力が伸びてくると、蒲池氏は龍造寺氏の麾下となった。天正7(1579)年、蒲池鑑広は龍造寺隆信に叛いたため、龍造寺氏の筑後侵攻となった。山下城を攻めるにあたって、龍造寺氏の家臣横岳頼次が、手始めに当城に攻め寄せた。城主一条和泉以下城兵よく防ぎ戦ったが、和泉守が討死したためついに落城、それ以来当城は廃城となったと伝えられる。

【雑記】

 県道84号と86号の交差する所に下広川小学校があり、その東側の丘が知徳城跡である。城跡碑は県道84号線沿いにポツンと立っている。この城は、訪城予定外に碑を見つけ、その後の行動に支障が出るため碑の写真のみで退散したところである。丘には小学校の校地内から登る階段があったが、現在の御時世、小学校に入りづらいよね〜。