【歴史】
『赤司城跡』説明プレートより
赤司城がいつつくられたか、詳しくはわかっていませんが、はじめて文献上に「赤司城」が登場するのは興国元(1340)年ですから、鎌倉時代につくられたと考えられます。川や堀をめぐらせた平城で、赤司氏によって築かれたと伝えられています。戦国時代には、大友氏・赤司氏・筑紫氏・秋月氏などの豪族により戦略の拠点として争奪がくりかえされました。特に大友氏は筑後進出に伴い立花(戸次)道雪などの重臣を城主や城代に任じ、統治させました。
慶長6(1601)年、田中吉政が筑後領主となり、弟左馬允清政を赤司城主にしました。清政は赤司八幡宮の社地に城を修築整備しました。元和7(1621)年、有馬豊氏が久留米藩主になると、一国一城の令により廃城となっていた赤司城の石垣を久留米城の修築のために使用しました。
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