小谷城 所在地:堺市豊田 |
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【歴史】 「小谷城址」説明板より(一部抜粋) 小谷城は13世紀中頃(鎌倉時代)に標高80メートルの泉北丘陵台地の自然の地形を利用し築城され、栂山城(現在の原山台)豊田城(現在の泉北高校)と共に鼎城といわれ、平氏一族の小谷氏の居城でした。 南北朝時代には前方千早城からのろし火を受けて、南朝の浜寺大雄寺に通信を送る中継所として重要な役割を果たしていましたが、戦国時代に入り一帯が根来党であったため、織田信長の根来攻めにより天正3年(1575年)に落城しました。 |
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【雑記】 小谷城郷土資料館の方には何回も訪れたことがあったのですが、その背後の最近できた病院の東側丘の上に石碑(写真1)と説明板があったとは最近まで知りませんでした。ほとんど丘は削り残し状態なので、遺構は明確には判りません。泉北高速鉄道を挟んで南東側には豊田城があった泉北高校が見えます。まあ、石碑派・スタンプラリー派向けの城跡ですね。 |
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