【歴史】
「福井城跡」説明板より
福井城は、山から延びる尾根の先端の台地上に築かれた一種の山城と考えられています。このあたりは小字名として、本丸・城ヶ谷・構えなどの地名が残り、亀岡街道から真龍寺参道に入る中間北側が大手跡で、それより北側へ、三の丸・二の丸・本丸・搦手跡と続く、城としての基本的構造をもつものです。『摂津志』によると、福井城は「建武1年(1334)楠正成の築きしものにて、守護代を置き守らしめしという。後、応安7年(1374)頼国当国守護となるやまた守護代をこの城に置く。大永7年(1527)2月、細川高国の代、三好元長に陥らる。」とあります。
また、「摂津国三島郡福井村新屋神社氏子之図」に、本城跡を「楠公砦城ノ跡」と記されており、この城のことを知る手がかりになっています。
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