【歴史】
「塞の遺構持尾城跡」説明板より
赤坂城支城の一つ。元弘の変に平石氏が拠ったものであろう。地の利を活かし、山頂や稜線を平らにして逆茂木をならべた中世の城塞のあとをよくしのぶことができる。
「持尾城跡」説明板より
標高336mの高台で、河内平野を一望のもとに見渡せる景勝の地である。茶臼山または城が塚とも呼ばれる。元弘2年楠正成の築いた城で、平岩氏が拠って戦ったといわれる。大和から河内へ進入する関東軍の様子がよく見えるため、のろし台の役割を果たしたのではないかと思われる。中世の「とりで」の形がよく残っていて、尾根のところどころを削り取って平らにした跡など、注目に値する。
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