海船館
所在地:堺市桜之町西3丁目
錦之町西2丁目 |
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【歴史】
『海船政所跡』説明板より
四国阿波の三好長輝は堺と関係の深い細川氏の先鋒として北国の兵を京都で破り、細川澄元を援助し、足利幕府の管領に据え、その後見人として権力の座に就きました。
長輝は京都に近く、阿波に渡るのに都合のよい堺に目を付け、永正元年(1504)2月、海の見える海船町に館を建てることを計画、京都から堺に来て4月から工事を始めましたが、完成は孫の元長の代になり、大永元年(1521)3月に政所の号をもらいました。その規模は桜之町3丁目付近を中心に東西360歩(約652m)南北これに倍しとあり、錦之町にあった梅黄寺も政所跡といい伝えられていることから相当広い区域であったと想像されます。
建物は、館の中央に高楼を作り、楼上より常に四方を監視し、一旦ことが起きると鐘・太鼓を打ち鳴らし一族郎党に知らせたといいます。
元長歿後、政所は長慶・義興・義継三代に相次いで、ここに住み、この政所は摂河泉(摂津・河内・和泉の国)の各支城の本城的な役割も果たしました。
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(写真1) |
(写真2) |
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【雑記】
「説明しにくい城跡やわ〜」という所です。桜之町西3丁目に説明板と海船政所跡の石碑(写真1)が、錦之町西2丁目に三好氏海船館跡(写真2)とそれぞれあります。直線距離で300m程ですが、どっちがメインなん?と悩みますね。錦之町西の石碑の方が「此附近」とありますので、桜之町西の方がメインかな?
南海本線七道駅から近いので、鉄系楽城派(するっとKANSAI使用)向けの城跡でしょう。
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