稲付城跡
所在地:北区赤羽西1-21-17
【歴史】
『稲付城跡』説明板より
稲付城 太田道灌が、岩槻城・川越城と江戸城との連絡のために築いたと伝えられ、通称道灌山山と言われています。のち、後北条氏に仕えた道灌の孫資高は江戸城三の丸月亭にいて岩淵城(稲付城のことといわれている)主を兼ね、またその子康資は岩淵城主として岩淵郷、志村郷を知行したといわれ、この城の任務も変化していったようです。永禄6年(1563)、康資は後北条氏に背き、鴻の台の合戦に敗れて安房に逃れますが、その後の稲付城についてはよくわかっていません。
【雑記】
赤羽駅の近くで、よく時間つぶしに立ち寄っている割に写真がそれほどありません。現状では寺になっており、その脇には堀跡と伝わるところもあります。
まぁ、都内のスタンプラリーコースですね。